スマホ依存でゾンビ化する電車内?みんな、現実に目ぇ覚ませ!
スマホに夢中な現代人、電車内はまるでディストピアや!
サニー爺でおます。最近たまに通院で電車に乗るんやけど、そこで毎回思うねん。「なんでこんなにみんな、スマホ見てるんや?」と。
老いも若きも、男も女も、リクルートスーツの兄ちゃんも、リュックを背負った女子高生も、顔を上げたら一斉にスマホや。ほんまに、まるで魔法にかかった夢幻の世界におるみたいやで。
スマホの光に照らされた顔はどれも無表情。電車がガタンと揺れても誰も顔を上げへん。目には光がなく、ただ画面の中の情報を貪るだけ。隣の人の存在も、座ってる席も、車内アナウンスすら耳に入らん。
まるで「スマホゾンビ」の群れやないか?
いやほんまに。ワシから見たら、あれはもう“ゾンビ化”や。
顔はうつむき加減、歩きスマホのやつもおる。ぶつかっても謝らん。ガッと肩が当たっても気にも留めへん。
こうして電車の中は「生ける屍」の集まりみたいになっとる。
そやけどな、ここであえて聞くで?
「ほんまに、それでええんか?」
スマホの世界は“無限”やけど、アンタの時間は“有限”や!
確かにスマホには山ほど情報が詰まってる。SNSを開けば、昨日の晩ごはんから海外の戦争、芸能人の不倫、猫の動画まで何でも流れてくる。
LINE、Instagram、TikTok、YouTube…。それ全部見んと落ち着かへん?
せやけど、ほんまに大事なんは、「今ここにあるリアル」ちゃうんか?
窓の外の空、流れる街、すれ違う人の表情。それが、今アンタの目の前にある“ほんまの世界”やん。スマホの中の世界は仮想や、編集された嘘かもわからん。でも、今すれ違ったその人の表情は“本物”やで。
スマホの中に閉じ込められて、チャンスを逃してへんか?
人の表情、何気ない会話、すれ違いざまの出会い。
昔はそういう「偶然」から、友情が芽生えたり、恋が始まったりしたもんや。
せやのに今は、スマホを見とる間に、そないなチャンスごと通り過ぎてもてる。
人生の宝もんを「通知のせい」で見逃してるなんて、もったいない話やで。
ワシらの青春は、もっと不器用で、もっと“濃かった”で
ちょっと振り返ってみてや。昭和のころ、ワシらはもっと「人とつながる」ことに命かけとった。
電車の中では同級生と馬鹿話したり、隣の席の女の子とぎこちなく話しかけたり、照れながらも心が通う時間やった。
今の若いもんにはそのチャンスが減ってる。
でも、スマホのせいやとは言い切らん。使い方の問題や。
あえてスマホを置いて、“外の世界”に目を向けてみぃや
たまにはスマホをポケットにしまって、窓の外を見てみいや。
空が晴れとったら「ええ日やな」と思えるし、雨の日には「ちょっと濡れたい気分になる」こともあるかもしれへん。
誰かと目が合ったら微笑んでみる。言葉を交わさなくても、それでええやん。
それがほんまの“つながり”ちゃうか?
スマホを責めてるんやない、アンタの“使い方”を問い直してるんや
スマホは便利や。わしも使てる。検索もするし、ナビも頼りにしてる。
せやけど、「道具に使われてどないすんねん」ちゅう話や。
使うのはええ。けど、使われてることに気づかんようになったら、それは“依存”やで。
まとめ:目を覚ませ、ほんまの世界を見直そう!
最後にもう一回言わせて。
「目を覚ませ! スマホの魔法にかかるな!」
アンタの人生は、通知やバズよりも、ずっとずっと大事なもんや。
たまには顔を上げて、まわりを見て、ほんまの世界とつながってみぃや。
この世は、まだまだ捨てたもんやない。
サニー爺はそう信じてる。
2025/07/17